人生は思い通りにいかないモノ。
突然ですが、人生思った通りにはなかなかいかないものですね。
20代くらいまでは、そこそこ計画に近い道を歩んできました。その頃は、将来像を計画して、そこに向けて努力をするのが楽しかった!
でも、結婚をして、家族が増えて、人生のライフイベントを経るごとに、だんだん思い描くようにはいかなくなりました。
そして、今は人生のプランニングほど難しいものはない、と思うようになりました。
そもそも、私は土壇場に弱いと思っているので、良くも悪くも石橋を叩きながら渡るタイプでした。
計画する(将来像を描く)
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障害になりそうなことを洗い出す
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それらに対する対策を考えておく
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計画を忠実に実行する
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行けそうなら、その計画をストレッチしてみる
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やり遂げる=達成感!!
こんな私のモチベーションはなるべく高い目標を立て、そこに向かって線を引き、歯を食いしばってその線を進み、目標を達成する。
側から見ると、がむしゃらに進んでいる姿だったようで、特に新卒時にはそのがむしゃらさが受けて、社内での評価もそこそこよかったです。
今でこそ大手企業の仲間入りをしましたが、当時はベンチャー企業でしたので、マッチしたのでしょう。
でも、一筋縄ではいかないのが人生でした。
結婚と同時に、積み上げてきた外資系企業での人事というキャリアをまさに放り投げ、シンガポールへ引っ越しし、ほどなくして出産を経験しました。
その頃の自分を振り返ると、個人の思い描く将来図とは違うところで星が回って、毎日が進んでいくという感じでした。
それはとても不安で、不満で、どうしようもできない行き詰まった感じがあったのを覚えています。
会社員時代に社内でよく言われていた言葉、”Control your destiny, or someone else will” つまり、自分の人生(キャリア)は自分でコントロールしないと、他人に乗っ取られるぞ、って言葉が、その時は打って変わって呪いのように聞こえていました。
ヨガがエクササイズではない理由。
唯一、自分のやりたいこととしてヨガだけは続けていました。
もちろん、毎日できるわけではないけれど、マットの上にたつその時間はとても特別なものでした。
体の凝りや硬さをほぐしてくれるだけでなく、心も落ち着かせてくれるし、何より、「自分」を感じられる瞬間。
ヨガでは、少なくともマットの上にいる間は、その瞬間だけを考えられるという幸せ。
ヨガでは、「今、そこにある自分」という存在だけに意識を向けましょう、という教えがあります。
過去の自分ではなく、また未来の自分でもなく、今の自分。
例えば、あー、昨日のランチのパスタは美味しかったな〜、あれはソースに何が入っていたのかな〜とか、この練習が終わったら何を食べようかな〜とか、もちろん食べることだけではなく、昨日はこのポーズができたのに、とか、いつになったらこのポーズはできるようになるんだろう、とかも全て過去や未来の自分です。
練習中はとにかく、今に集中できるわけです。
それがだんだんと、マットを離れてもそれができるようになり、段々と心が揺さぶられないようになります。私の身に起きているのだから、当事者である他ならないのですが、あー、こんなこと起きてるーって感じになるのです。
私はまだ道半ば。心が大きく揺さぶられ、引きずられ、キーーー!!!どうしよ、大変!ヤバイ、無理!となることも多々あります。
また、ヨガの教えは、委ねることを否定しないものでもありました。
当時、自分でコントロールできる範囲を超えていたと感じていた私は、しばし時の流れに身を委ねることにしました。
こうやっていうとサーフィンと似ているかもしれません。
次第にまた必ず波が来るわけですから、その時に波に乗ればいい。
でも、その波は予測していたわけではないから、波が来たは来たでまたグラグラ揺さぶられる。
ヨガは、この波に耐えうる心と体を作ってくれると同時に、波が来た時にちゃんと乗れるようにしてくれるのです。
2021年も色々と変化のある一年でしたし、2022年も大きな変化が訪れそうです。
その時にくる波にしっかり乗れるよう、今日もヨガを楽しみたい!と思います。