アーユルヴェーダやヨガを学んでいると、少しづつ知っていることが増えていきます。
何歳になっても新しいことを学ぶのは楽しいですね!
***しかしこれはちょっと間違いなんだそう。
アーユルヴェーダに関しては私たちは新しい知識を得ているのではなく、そもそもその知識は与えられ本来持っているもの。
奥の奥のそのまた奥の方に仕舞い込んでしまった膨大な知識が詰まったデータベースのようなものに、学びを通じてアクセスし、それを引き出している(思い出している)だけなんだそうです。
だから、”学ぶ”ということはとても尊いことなんだ、と私が指示するドクターが以前話していました。***
話が少し脇道に逸れてしまいましたが、学びを進めると、知識が増えていきます。
と同時に、私自身についても”イメージ”がついてきます。
例えば、Mikaさんは健康な人だ、Mikaさんは食事に気を使っている人だ、Mikaさんは・・・。
なので、例えば、私が飲み会が続いた〜、とか、イライラが止まなくて〜などという話をすると、「えー?」と驚かれることがあります。
そうすると、こっちが「えー?」となります。
私だって、欲望に負けるし、超ストイックな生活はおくれません。
でも、やっぱり健康でいたいし、老化は気になるし、毎日を幸せに送りたいと思う。
これは、相反することなのでしょうか?
アーユルヴェーダで知識以外に得られるもの。
私の中では、ボーダーラインがあります。
これは、古典に書いてあるとか、グルに教えられたとか、そういうものではなくて、100%自分で決めた、無理のない範囲で自分が心地よくできるところです。
言い換えると自分軸と言えるのかもしれません。
そして、このボーダーラインがあるから、毎日ゆらゆらしながらも、時々バランスの取れた状態からはみ出てしまっても、帰路修整しながらちゃんと立っていられるのだと思います。
みんな違って、みんないい、です。